はじめに
2020年6月に「他の骨髄線維症の方々のブログを見て」と題し、一文を上げましたところ表示数が伸び、反響をいただきました。同名の病名を授かったかたならば、どなたも関心を持っていらっしゃるのではないかと思います。
ブログ立ち上げから6年-7年が経過し、「同種進行のかたはどうされているのか」と思うようになりました。50万人に一人という難病、患者人口自体がそう多くはいらっしゃらない中で、しかし自らブログを立ち上げ、自らの病跡を伝えようと志を一にするかたがたがたくさんいらっしゃるということを知り、とても心強く思っています。
同種進行のかたがたの変遷を辿るという行為はこのご時世、ややもするとストーカー行為と取られかねないかも知れませんが、誤解を恐れずに言うならば同種進行の者として、その後の経過は他人事ではありません。2016年3月の本ブログ立ち上げの原点でもある「同種進行のかたや今後同じ悩みを抱えることとなるかたがいらっしゃれば参考としていただくことを目的とし」当ブログを立ち上げました。もうひとつ云うならば、発信するのみならず同種進行のかたがたの状況も把握したいということ。
他の骨髄線維症のかたたちのブログのことを書く前に、自らのことを書いておかねばなりません。
このブログを始めたのは2016年3月、某大附属病院において「骨髄異形成症候群」という人生2度目の白血病告知を受けたことによるものです、当時53歳でした。詳細については「About me」をご覧ください。
それから2年4カ月後の2018年7月、中核病院における「骨髄増殖性腫瘍(ET)の遺伝子変異解析」の結果、「骨髄線維症」と診断されたのですが、その時の主治医の声があまりにも小声で聞き取れず…。妻と二人4つの耳で聞いたのは、
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「骨髄線維症に近い[CALR exon9]という遺伝子に変異が見つかったことから「骨髄増殖性腫瘍(ET)」であることが確定しました」
このムンテラは「あなたは骨髄線維症です」と言っているようには聞こえません。当時のブログには「なにを言っているのかわかりません」とだけ綴り、しかし反芻することもなく締めてしまっていました、おバカです……。
その半年後の翌年1月「言った、聞いてない」バトルが勃発します。挙句、担当医からは、
「あなたの臨床データは優劣複雑で、他の例を鑑みても複雑極まりない」
「今後もし急性転化した場合、同種での移植成功例は当院では皆無であり、他で治療されたほうが賢明ではないか」
と事実上、主治医を降板したい旨申し出がありました。
患者会の後ろ盾もありJ大にてセカンドオピニオン実施。その後、以前の主治医(2000年-2014年)でもあり、260kmも離れたドクターではあるのですが、主治医になっていただくことを快諾いただきました。
260km離れたドクターによると、[CALR exon9]カルアール遺伝子陽性はつまり、シークエンス的にはアドバンテージがあるのだと。前医は「優劣複雑」とは言われましたが「アドバンテージ」とは聞いていません。
本年2022年は260km離れたドクターの許へは3回行きました。その他の月は月一もしくは月二で近医腎臓内科医の許へ、そののち260km離れたドクターとのリモート診療を受けていたのですが、[加筆訂正2023/12/28]ここへ来て[CALR exon9]カルアール遺伝子陽性による症状、貧血がひどくなってきました。
[加筆訂正2023/12/28]1週間から2週間に一度の輸血が必要となり、都度260km離れたドクターのもとへ行くことが出来ないことから、地元の大学病院へ転院することとしました。
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前回は四名のかたのブログを無作為に抽出し拝見しましたが、そのかたがたはその後どうされているのか、再度読み取ることにします。
なお前回同様、そのままの記載はほとんどしておりませんので、名称等出典についてはあえて伏せておりますのでご了承ください。
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Episode_1 60歳女性のケース
1990年頃、27歳で血小板300万台、本態性血小板増多症、アナグレリド治験参加により半年間で血小板数30万台に回復。
2016年8月、骨髄線維症と診断
2017年3月、ジャカビ®内服開始、輸血開始
2018年1月、ジャカビ®6錠/日、医師より移植を勧められるも「するしないは私が決めること」
同年2月、ジャカビ®4錠/日
2019年1月、ジャカビ®4錠/日「ジャカビ効果で脾臓も小さくなってる」のに医師は移植を勧める、芽球3.0
2020年4月、ジャカビ®7錠/日
同年8月、輸血20回、以後Hb7台で輸血
同年11月、もう完全な輸血依存だんだん間隔も短くなり「移植する気になりましたか?」と医師
同年12月、目眩、ふらつき、倦怠感、もう自分の体が嫌になるくらいひどい
2021年2月、帯状疱疹性髄膜炎で入院治療2週間、医師「ジャカビを長年飲んでると免疫力も落ちこういうことが起こりやすくなる」
同年6月、25回目の輸血、医師「この先どうなるかわからないから、移植した方がいい」
同年7月、ジャカビ®8錠/日
同年9月、対症療法ばかり、副作用で体壊すって…なんか違う
同年12月、悩み事はいっぱいあるが涙流したり心痛めても何の得にもならない、時間の無駄使いはしないと考えたら心軽くなり体調も良くなった、私らしく生きて行けたら良い
2022年1月、医師「腎機能も変化しこのまま輸血していると、体内に鉄が溜まりいろいろ影響を及ぼすので骨髄移植を考えたほうがいい」
同年2月、輸血30回目
同年7月、動くと結構な怠さで散歩にも行けず、すぐ横になってしまう
同年9月、移植しないということは、生を放棄することになるのかな、移植できない人にとったらそうだろうな、いつまで悩むと答えが出るのだろうか
同年10月、3ヶ月に一回の輸血が、2ヶ月に一回になり、1ヶ月に一回となり輸血依存が進んだ
同年11月、輸血38回目
- 初期症状で血小板300万台というのは半端ないです(私はMAX88万でした)。このかた、ずっと骨髄移植を勧められているのに頑なに拒否されてきたものの、輸血依存が顕著となり腎機能も低下、倦怠感もひどくなり自問自答されるようになりました。
- 私は極力輸血はしないという意識の下、輸血は3回受けましたが、おっしゃっている言葉に思い当たる節があります、「動くと結構なだるさで散歩にも行けず、すぐ横になってしまう」とか。
- 医師から移植誘導された際に「(移植を)するしないは私が決めること」と心の声が発せられていましたが、最近は「対症療法ばかり、副作用で体壊すってなんか違う」と吐露。「移植しないということは生を放棄することか」と変化されました。
- 一方で医師による「ジャカビ®を長年飲んでいると免疫力も落ちこういうこと(帯状疱疹性髄膜炎)が起こりやすくなる」との発言は、同じ抗がん剤を服用する者として見過ごせない記事でもありました。ジャカビ®を飲んでいなければいないで、免疫力の低下を惹起するのでしょうし難しい判断だと思います。
- 症状的には、脾臓の腫れは私と同程度のようですが(脾腫の程度に関する記載はあまり見当たりません)、ジャカビ®服用により脾腫の最小化、との記載もあり、そうした状況を垣間見るほうも安堵しました。この方の現在のジャカビ®5mgの服用量は8錠/日と私と同様[加筆訂正2024/1/3]。服用開始は2017年3月、私は2020年12月です。
- 脾臓の腫れを観察するということはたいへん重要なファクタであるにも拘わらず、そうした記載がないということは主治医が移植に傾倒しすぎているという本末転倒の状況が続いていると見ます。毎月、腹部CTを受けて被爆するわけにはいかないので、せめて患者の脾臓周りは観察すべきと思われます。
- 輸血は38回、Hbヘモグロビン8台で輸血というのは驚きです。私はこれまで3回の輸血を受けていますが5万台でした。
- よく似た年齢で病気の加減もよく似てます。いや、彼女のほうが一枚うわ手かな笑、くれぐれもご無理なさらぬように。
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Episode_2 2009年に移植するも不生着、2011年再発、2021年再移植を覚悟
2009年、44歳で骨随移植、移植1ヶ月前より入院、半月はほぼ毎日検査。神経科では精神状態のチェックも。検査が終わり、移植10日前に無菌室に移動、胸にCV(カテーテル)埋込。抗がん剤投与2回、放射線照射、前処置で叩くも生着せず失敗、2年後再発。
2020年6月、芽球17.5%、骨髄中の芽球が線維に押し出されているとしても、5%未満とのことで芽球が増えている。骨髄線維症は長く付き合う病気だと思う。
2020年12月、一年を振り返ると、病状はゆっくり進行して輸血の回数が増えた事と、白血病への移行が不安な一年だった。
2021年2月、ヘモグロビン8.5で輸血して2週間で6.8とは、自己造血が殆どされていない。
同年3月、医師「実はこうして入院もせず毎週きっちり通院出来ているのが凄い事なんですよ。今の状態をこの先も維持できるとは考えられません。あと1年保つかどうかの状態です」
「抗がん剤治療をすると抗がん剤で血球が減少して、それを自力で回復するのは難しいので移植が前提になります。しかし2度目の移植はリスクも高く、1度移植しているので内臓が実年齢よりプラス10才くらいのダメージを受けています、まずは抗がん剤に耐えられるかどうか検査入院が必要」
同年4月、検査入院。医師「最悪の場面を想定して話をしている、治療を受ける患者に生きるという強い意志がなければ移植のような辛い治療は乗り切れません」
同月、医師「頻回な輸血と末梢血に芽球が出ていて白血病への移行が懸念される、この状態では1年もたない」医師に死生観を問われ、60まで生きたいと言うと「移植して何とか60まで行けるかどうか。骨髄バンクを待つ時間がないので、息子をドナーにした移植が望ましい」
同月、医師「移植が不生着で再発して10年以上生きてる人は見たことありません」
同月、全ての検査を終えて医師「身体は移植できる状態」「移植の選択はあくまでも私自身の死生観による」
同月、何だか白血病で振り回された気もします。白血病がそんな状態ならと、生きたいという確固たる強い思いがなく逆に揺れています。直ぐに治療が必要ないなら、焦って移植することもないんじゃないかと。
同月、朝食の後、歯磨きで洗面台の鏡の前に立つと、青白い顔に覇気のない目元、唇の表面にまで出来た口内炎、頭痛に疲れた顔が悲しく、いや、移植して元気になろうよとも思ったり。
同月、輸血依存か、はたまた余命1年を選択するのか、成功率2割の移植を選択すべきか。どちらを取っても同じかな。夕食後、ひょんなことから顔を合わせば挨拶程度の同室の方々と話が盛り上がりました。来月移植予定の方と病気や移植の事など3時間近くお話し出来て良かったです。
入院から遠ざかっていた私は、お二人から色々教えてもらう事が多かったです。Aさんの、病気は頑張るとか、治すのじゃないの、辞めるのって本に書いてあったとおっしゃったのが印象に残りました。
同年5月、緊急入院。思いもよらぬスイート症候群での入院になり、この緊急入院がなければ、予定通り抗がん剤治療を受けて、移植に向けて進んでいたと思います。久々の高熱、悪寒戦慄、ステロイド治療と、基本の治療の軸が逸れました。考える時間を、誰かが?何かが?私に与えてくれた貴重な入院なのかもしれません。
同年6月、緊急入院から退院、末梢血に20〜30%の白血病細胞が存在してそれが更に増えそうなこと。治療を始めないとひと月後にはかなり厳しい状態になるとのこと。バンク経由の骨髄移植では時間がかかりすぎるので、息子をドナーとしたハプロ移植が今回の移植には望ましい。
同月、再入院。(これ以上読めず)
同年9月、ご家族からの投稿「皆さん大変お世話になりました」
- 2009年44歳、1回目の移植は不生着で失敗。医師の「移植が不生着で再発して10年以上生きてる人は見たことありません」という言葉からすると、幸運の持ち主だったというより他にありません。
- 骨髄移植の前段階でがん細胞を叩いてから移植するパターン、ドクターからは聞かされていましたが、これのことですね。今は海外での好事例に倣い、前処理で叩かず移植をしているようです。生存確率が幾分向上していると聞いていますが、2009年のことですし。セオリーはあるのでしょう「一度前処理をした場合、次回以降の移植の場合についても前処理が必要」とか。医師はそこのとには触れられていないようでした。
- 2021年57歳、このかたも私と年齢が近いです。経過観察と輸血は月2回に。「ヘモグロビン8.5で輸血して2週間で6.8とは、自己造血が殆どされていない」自分ならばどうするか、ゆくゆく私も歩む道ですから。
- 「何だか白血病で振り回された気もします。白血病がそんな状態ならと、生きたいという確固たる強い思いがなく逆に揺れています。直ぐに治療が必要ないなら、焦って移植することもないんじゃないか」「輸血依存か、はたまた余命1年を選択するのか、成功率2割の移植を選択すべきか。どちらを取っても同じかな」心の声がたくさん綴られていました。そうした患者の揺れる心情を察知してか、主治医担当医は心のケアに努めていたようですが、結果として移植に向かわれたのですね。もう少し患者に寄り添うことが出来なかったのか、客観的に見てとても残念です。
- 下から2行以下。2021年6月に再入院されて以降というもの、あまりにも可哀そう過ぎて、それ以上は感情が移入して読むことすら出来なくなりました。コロナ禍のご時世、お独りで旅立たれたのでしょうか、心よりご冥福をお祈りいたします。
- 私は、最低限の対症療法で結構です。痛みがあれば和らげます。
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Episode_3 43歳女性のケース
2013年、腹部膨満感により脾腫、原因不明の門脈圧亢進症と診断、服薬なく経過観察。A大
2018年後半、貧血。
2019年後半、貧血と血小板減少が進行し、骨髄線維症との診断。2013年から同疾患だった可能性大。B病院に転院、将来的に造血幹細胞移植とも。
2020年9月、2か月毎の経過観察異常なし、毎回の脾腫の触診も異常なし。
同年年末、妊娠判明。ハイリスク妊娠対応の病院(C病院産科)へ転院、即管理入院。血液凝固因子が異常値(値は記載なし)を示していることから、出産は院内倫理委マターとのこと。
15週、倫理委からの人工流産勧告を拒否、リスクを抱えつつも妊娠継続したいと意思表明「病院の決定に納得出来ないなら他へどうぞ」診療拒否ともとれる発言もあり。
2021年5月、4ヶ月の管理入院の後、倫理委勧告29W帝王切開で男子出産。
同年6月、生後4週間までの赤ちゃんの経過を最後に記載なし。
- ここまですべて女性ですけれども、偏った掲載を意識しているものではありません。たまたまこういう結果となりました。
- ご本人も言われているとおり、A大における判断違いがあったようです。セカンドオピニオンをされたら良かったのかもしれません。
- 確かに、女性の発症率というのは極めて低いと聞いていますし、選択肢として考慮の遡上にあったと思いたいところですが、そうした統計学上の考え方の上に、ついつい見過ごされたのかも知れません。
- 無事の出産おめでとうございます。母子とも健康でなによりです。育児に専念されていらっしゃるのか、ブログへの記載は出来ない状態でしょうか。経過観察はされているものと確信いたします。
- 将来的に骨髄移植、医師はそう言いますね。お子様とともに暖かい生活をお送りください。どうか健やかになさってください。
- 「わずかな他の方のブログが参考になっているため、私の情報も何かの参考になれば、私も情報やアドバイスを頂けたら、と願っています」との記載がありました。ありがとうございます。ぜひこちらの情報も参考になさってください。
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Episode_4 急性転化後に移植のケース
2017年7月、骨髄線維症発覚
同年9月、急性骨髄性白血病に移行
同年11月、末梢血幹細胞移植、生着
2018年5月、肺炎は全然治らないし、肝臓の数値も高いままで社会復帰の目途立たず、病院の往復だけで疲弊、体力がありません。
2019年6月、ステロイドは減量されたものの投与中、GVHDもあり中々思うようにいきません、今はまだ働ける状況にありません。
2019年8月、ツイート2行
- 前触れサインは出ていたのでしょうが、見過ごされていたのか、発見が遅かったということでしょうか。急性転化されたあとに移植されたようです。
- 2019年、移植から2年が経過する中で、「移植された方々はどのタイミングで社会復帰していったんやろか。。。」と悲痛な思いを綴っていらっしゃいます。その後、お加減はいかがでしょうか。3年間記載がなく案じております。
- 記載中に「少しでも皆さんの参考になりますように」とのこと。ありがとうございます、たいへん参考になっています。どうかおだいじになさってください。
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まとめ
以上、四名のかたのブログをふたたび拝見いたしました。実は今回、これを書き上げるに際したいへん体力を消耗いたしました。Episode_2ではブログを読むのがつらく悲しく、最後はご本人の誤変換も多くなり、私は感情移入し最後まで読み通すことが出来ませんでした。
一方で症状的には、Episode_1のかたが今の私に一番近いのかも知れません。血液の状態は一歩先を行かれているようで、移植に向き合うスタンスも非常に似ていますが、最近妙に弱気になっていらっしゃるところが気になります。「この先どうなるかわからないから、移植した方がいい」不安を煽るように選択肢はひとつしかないように医師は言いますが、移植後の生存率の低さや再発率の高さのことまで話は聞かれていますか。兄弟姉妹間での移植ならばまだしも、HLA型の適合ポイントを下げたことにより結果として、今やリスクだらけとなってしまった骨髄移植。こうした治療方法を選択するということは、もはや私の考え方の中にはありません。
私としての一番の関心事は、やはり骨髄移植をされてそのあとどうなったのかというところです。四名のうちお二人が移植されていました。
Episode_2では、前処置段階で叩く従来型の治療を選択されたようで未生着のまま。QOLは保たれていたとのことでしたけれど、13年間もそうした状態で過ごされていたことに驚きを禁じ得ません。
Episode_4のもうおひとりについては急性転化後の移植であったとのこと。そういう状況であっても移植に踏み切るということに驚きました。2019年8月に2行のツイートがあって以降、更新されていないところが気になります。お元気でいらっしゃることを念じております。
今回いろいろと参考になりました。みなさんに共通して云えることは、どなたも同名の病気を患っていらっしゃるかたの助けになりたいと願っていらっしゃることです。私からも、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。
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これを執筆するにあたっての当方のスタンスとしては、「About me」に記載していますとおりです。以下、当該箇所を再掲しています。
本稿をお読みいただいているかたは恐らく、
同種進行のかた、
骨髄増殖性腫瘍と診断され線維化の懸念があるかた、
今後同じ悩みを抱えることとなるかた、
学術的に情報を収集されているかた、
であると推測いたします。
拙文ですけれども、どうか皆様の参考になればと念じてやみません。
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